出産に立ち会う意味

息子が生まれた時、僕はまだ前妻との離婚が成立していなくて、修羅場真っ最中でした(笑)

(笑)って、笑いごとじゃない。

自分でまいた種とはいえ、なかなか大変な経験をしてきました。

 

だもんで、妊娠中も生まれてからも、パートナーとしてシェアすることや、父としてやることの、半分も出来てなかった気がします。

今回、奴隷のような扱いでも我慢するかと思う根っ子には、数年前の反省があるように思います。

それにしたって、常軌を逸した扱いを受けてるワケですが、僕が妻を撲殺せずに、なんとか心の平静を保てるのは、そうした過去に対する後悔があるのでしょう。

 

いよいよ来週の月曜日が、出産予定日です。

息子の時は、4日遅れての誕生でした。

娘のことは知りませんが、確か予定日より多少早かったように思います。

いずれにせよ、もう生まれてもおかしくない状況です。

 

毎日毎日、生まれそう生まれそう、早く生まれてくれ!と呪文のように呟く妻ですが、勝手に話を進めて、僕だけでなく息子も立ち会っての出産を、病院に申請してやがりました。

ここでも書きましたが、立ち会いはしないし、ましてや子どもが出てくるところをビデオに撮ったりはしないと言ってきたのに、人の気持ちとかは相変わらず一切無視です。

出産シーンを見せるのは、息子にとっては良い経験かもしれません。

僕にとっては、まったくもって、迷惑以外の何ものでもありませんが。

 

感謝とか愛情が渾然一体となった感動ってのは、出産シーンにありがちなんですけれど、何度も言いますが、それは互いに愛情を持った男女間で成立するのです。

互いの愛情が皆無という状況で、カタチだけ幸せ夫婦を真似ても、意味なんてありゃしないのに、アホかと言いたい。

 

もっとも妻としても、僕の立ち会いなど、どうでも良いことなんですよね。

撮影する人間であり、息子を立ち会わせるための、単なる保護者という認識しかないみたいなんで。

僕から感謝や愛情の言葉を期待してるワケではありません。

立ち会わないで済む方法としては、息子か僕が風邪を引くしかないみたいです。

 

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2017年10月27日 | Posted in ヤケクソ | タグ: No Comments » 

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