虐待する人間は、しつけという言葉を使いたがる

今朝、虐待で4歳の子が殺された箕面のニュースを見て、電車の中で泣いてしまいました。

大阪・箕面の4歳男児死亡で母親ら3人逮捕 日常的に虐待か? 殺人容疑で捜査

どうして弱い者に暴力を振るうのか?

躾?

お前らが躾されるべきじゃねぇのか?

幼くして亡くなった子の無念を思うと、やりきれません。

虐待する人間は、口を揃えて「躾」という言葉を使います。

うちのクソ女も、娘その1を躾と称して殴る蹴るしていました。

暴力を肯定する人間は、絶対に反省なんかしないのです。

 

昨日、いつもの調子で妻の機嫌が悪く、無意味にキレられました。

自分の感情の起伏だけで、周囲の人間に当たり散らす態度は、いくら存在を諦めたといっても、不快以外の何ものでもないのです。

さすがに我慢も限界だったので、今後のことについて話をしました。

以前から、息子が成人した段階で、家族ごっこは解消すると伝えてあります。

痛恨の失敗で娘その2が生まれて、今後については白紙に戻ったと妻は感じていたようですが、娘その2の成人を待っていたら、暴力に怯えるだけで僕の人生が終わってしまうので、子どもたちが肉体的精神的に、虐待に対抗できる年齢になったら、今の関係は終了させる旨を改めて伝えました。

 

彼女の前夫、前々夫のように、子どもたちを捨てる訳ではありません。

一緒に住まないだけで、子どもたちへの精神的経済的な支えにはなりますし、可能であれば家族ごっこを解消して出て行くのは、妻であってほしいと思っています。

 

その過程で、娘その1への虐待と、先日の僕への暴力についての話になりました。

躾ではなく、自分の思い通りにならない事態に対して、暴力で修正しているだけではないのかと、今まで言わなかったことを問いかけたのです。

 

もちろん認める訳がありません。

それどころか、驚くべきことに、娘に対する暴力については、具体的な記憶がないと言うのです。

床に転がって泣いている娘の顔面を蹴り上げ、顔に痣がついたことを指摘すると、そんなことはやっていないの一点張り。

あなただって酔ったら記憶をなくすでしょう?と、得意の話のすり替えで逃げようとします。

蹴ってなければ、どうして顔に痣がついて、学校から児童相談所に通報されたのかと、根気よく理詰めで尋ねても、蹴る訳がないと一歩も引きません。

それどころか、もし蹴ったのが事実として、あなたは私が娘を蹴るのを止めなかったのか?それならばあなたも同罪だと言い出す始末。

 

止めました。

止めたから、一発で済んだんです。

止めてなければ、もっと大怪我になっていた筈です。

実際、その次の虐待では、娘は骨折しています。

 

そして最も驚いたのは、先月の13日、朝から僕の腹を殴ったことについて、そんな事実はないと言い放ったことでした。

 

これは二つの意味で、心底恐ろしくなりました。

もし本気で殴った記憶がないのであれば、一大事です。

然るべき医療機関に相談しないと、この先どんな不幸がやってくるか分かりません。

精神異常者なら、何やってもオッケーな国です。

今までの暴力や理不尽な行動すべてが、許されることになるのです。

もう一つの恐ろしさは、もしかして本当に暴力はなかったのか?と自分自身を疑ったことでした。

数日、痛みは続きました。

でも殴られてないとしたら?

僕が病んでいるのでしょうか?

妻は自分の暴力などなく、言いがかりだと決めつけています。

 

ただ僕はある一点で正気を保つことができました。

もし僕が精神異常者なら、自分のことを顧みたりはしないのです。

僕はまず、もしあれが僕の妄想だったら?と、自分を疑いました。

虐待や暴力について話をすると、そうやって私を精神的に追い込んで、楽しんでるだけだと、妻は僕を弾劾します。

盗人猛々しいとでも言いますか、私を責めて楽しいか?と、話をねじ曲げるのです。

なぜお前に躾について非難されなければならない?と、この期に及んでまだ虐待の事実を認めないのです。

 

もう疲れました。

少し考えたいからと妻に言われました。

要するに、数日帰ってくるなということです。

この女は自分だけが気持ちよく生きるために、家事育児の労働力とカネがあれば良いのです。

 

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2017年12月26日 | Posted in もう嫌だ, ヤケクソ | | No Comments » 

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